下町のランドマークから世界に発信 

凌雲閣

「凌雲閣(浅草十二階)」/所蔵:江戸東京博物館

高層ビューの歴史は浅草「凌雲閣(りょううんかく) 」から始まった
古くから庶民の街だった浅草は、明治になって浅草寺を中心に浅草公園として整備されることになり、一区から六区に分けられました。中でも芝居小屋や活動写真館が集まり、娯楽の街として賑わったのが六区。1890年(明治23年)、六区の外れに煉瓦造り十二階建てで八角形の望楼建築「凌雲閣」(通称:浅草十二階)が落成しました。文豪田山花袋は著書『東京近郊 一日の行楽』の中で「実際、十二階の上の眺望は、天然の大パノラマである。是非一度は登ってみなければならないと思ふ」と展望所からの眺望を讃えています。日本初の電動式エレベーターを設置したことでも有名で、関東大震災で崩壊するまで、多くの人々を楽しませました。
欧風社交場 鹿鳴館は新時代の象徴だった
江戸から東京へと改称され、日本は欧米諸国に文明開化を認めさせると同時に、日本の上流階級の欧化政策を進める必要がありました。そこで、内幸町の元薩摩藩屋敷跡に社交場として建てられたのが、イギリスの著名建築家コンドル設計の洋風建築「鹿鳴館」です。1883年(明治16年)の竣工以来、連日のように国賓の接待や舞踏会が開かれ、1889年(明治22年)に払い下げられるまで使われました。その後、華族会館や民間の事務所として利用されたのち、1941年(昭和16年)に解体されました。当時の東京は欧風建築が相次いで建てられており、鹿鳴館はその象徴のひとつでした。帝国ホテル東京の南隣には、鹿鳴館跡を示す碑が静かに残っています。
東京タワーと東京スカイツリー

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東京スカイツリー®︎と東京タワー 新旧2大望楼建築
現在の東京は高度成長期以降増え続ける超高層ビルが林立していますが、その中でもランドマークといえば、東京タワーと東京スカイツリー®︎です。どちらもテレビ電波塔として建設されましたが、展望台としても有名です。東京タワーが竣工したのは1958年(昭和33年)。標高約20メートルの高台に建設された高さ333メートルのタワーは、東京のシンボルとして多くの人に親しまれてきました。テレビ放送のデジタル化に伴い、新たな電波塔として2012年(平成24年)に隅田川近くの下町に東京スカイツリー®︎が完成。東京がかつて所属した武蔵国にちなんだという634(=むさし)mという高さは、自立式鉄塔として世界一(完成当時)を誇り、東京タワーに続く、新たなシンボルとなっています。 施設内にある地上450mの「天望回廊」からは、東京湾や房総半島まで広々とした眺望が楽しめ、夜は季節やイベントに合わせたライトアップが行われるなど、東京の夜空を彩っています。