都市の賑わい・流行

大人の歓楽街から若者のファッション発信地へ進化した渋谷

提供:(右)Sean Pavone/ゲッティイメージズ
撮影:(左)赤石定次/所蔵:白根記念渋谷区郷土博物館・文学館

渋谷大人の歓楽街から若者のファッション発信地へ進化した渋谷
渋谷は江戸時代から江戸と郊外の境界でした。そこを通っていたのが大山街道、現在の青山通りです。当時は街道沿いの集落として賑わっていました。 近代になり、渋谷から郊外へは私鉄が、渋谷から都心へは地下鉄や都電が通り、高度成長期に急激に人口が増えた郊外の人々が集まったこともあり、ターミナル駅としてデパートとともに発展しました。昭和26年(1951年)には東横百貨店と玉電ビルの屋上を結ぶロープウェイが作られたり、プラネタリウムや映画館が林立するなどファミリーの街となっていました。 やがて、渋谷パルコ、マルイ、109といった若者向けのファッションビルが林立し、1980年代に若者の街へと変貌。 昼夜問わずひっきりなしにやってくる若者たちが、改札を出たらまず渡るスクランブル交差点は、人々が行き交う場所として注目の的。ハロウィンやスポーツなどの大きなイベント時には、青信号の間だけの祝祭場として人気となっています。一度に多くの人が交差点を渡る様子は圧巻で、外国人観光客の撮影スポットにもなっています。

原宿若者が集まる街 原宿はかつてホコ天のメッカだった
今や若者のファッションの街として有名な原宿。そのきっかけは第二次世界大戦での敗戦にありました。今の代々木公園にアメリカ占領軍が駐留し、宿舎としてワシントンハイツが建設され、駐留する米軍人相手の店が原宿にでき始めたのです。ワシントンハイツはその後日本に返還され、東京オリンピックの選手村となり、それを契機に最新のファッションやグッズを扱う店やカフェが誕生し、若者が集まりはじめます。それが若年齢化したのが1970年代の終わりから1980年代。原宿の歩行者天国、通称ホコ天を舞台に、竹下通りにできた「ブティック・竹の子」のファッションを纏ってホコ天で派手なスタイルで踊る「竹の子族」や、ロックンローラーの出で立ちで踊る「ローラー族」が誕生。それが多くの見物客を呼び寄せ、道は踊ったり演奏する人と観客でいっぱいになりました。 歩行者天国は平成10年(1998年)に廃止されますが、原宿は竹下通りを中心に個性的な「kawaii」ファッションの街として息づいています。
明治神宮の参道から最先端の街へ

「表参道(渋谷区)1986(昭和61)年12月5日」、「表参道(渋谷区)2012(平成24)年8月1日」所蔵:東京都

表参道明治神宮の参道から最先端の街へ
著名ブランドのビルが並ぶ表参道は、大正時代、明治天皇を祀る明治神宮創建にともない、青山通りから明治神宮への参道として造られました。青山通りと参道がぶつかる交差点と、明治通りの神宮前交差点には、今でも参道を示す大きな石灯籠が2つずつ設置されています。表参道エリアがファッションの街となったのは、「同潤会青山アパート」が商用利用され始めたのがきっかけです。第二次世界大戦後、個人に払い下げられたアパートの部屋にはブティックやギャラリーが入居し、「原宿」とともにファッションの最先端を担う街となりました。「同潤会青山アパート」は平成18年(2006年)に「表参道ヒルズ」に建て替えられ、トレンドに敏感な多くの人たちを惹きつける、大人のファッションや流行を発信する街として発展しています。